企業とエントロピー B337『エンジニアリング組織論への招待 ~不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング』(広木 大地)
広木 大地 (著)技術評論社(2018/2/22)
XにAIとエンジニア関係の投稿が流れてきて興味を持ったんだけど、その人の過去の著作に本書があった。
ソフトウエア・アーキテクチャと組織の重ね合わせやチームトポロジー的なことを、エンジニア視点でゴリゴリにまとめたものだったらいいな、ということでポチってみた。
読んでみると、その点では期待外れで、目新しい知識が身に付く類のものではなかったけれども、噛み砕いてしっかり一つのテーマに落とし込んでいるという点で、かなり良い本だった。
著者は、エンジニアリングを何かを実現していくための科学分野であり、実現のために不確実性を効率よく削減していくことだと捉える。
簡単なまとめ
一見、いろいろな視点をつまみ食いするような内容に見えるけれども、そこには不確実性とは何か。それとどう向き合い、どう削減していくか、という一本の芯が貫かれている。
1章ではまず、人の認知は歪みが必ず生じ、感情に左右され、合理的ではなくなる不完全な存在であることを認識し、その不完全さと向き合う方法が描かれる。不確実性は、未来と他人が分からない(未来は分からない、他人を理解できない、うまく伝わるとは限らない、思うようには動かない)というところから生まれ、それを経験主義や仮説思考、継続したコミュニケーションや仕組みを通じて削減する。これをある種の技術、エンジニアリングとして捉える。
2章では、さまざまなメンタリングの技術によって、思考をリファクタリングしていく方法が描かれる。これは不確実性を削減する技術を伝え、自律的な人材へと育てるという点でのエンジニアリング手法と言える。2つの不確実性のうちの他人、コミュニケーションに関わる不確実性を対人関係の中で、もしくは個人個人のスキルとして削減していく。
3章ではアジャイルをチームをメンタリングする技術として捉え、その意味と役割を描く。チームの中で発生する不確実性を把握し削減していく。その姿勢をアジャイルと捉えている。
4章ではより具体的にチームの不確実性を捉え削減していく技術が描かれる。不確実性はそのままコストに直結するが、その不確実性・コストを削減するための技術とチームの在り方が問われる。
5章ではその技術が組織スケールに持ち上げられ、開発分野の理論やアーキテクチャとの重ね合わせが行われる。
まとめてしまうと、こんな感じだけど、関心を持っていた「開発分野の理論やアーキテクチャ」を、組織と重ね合わせるための少し手前、その前提となる考え方と技術を学べたのはとても良かった。
とはいえ、つまるところこれは基礎技術なので、ざっと読んだだけではそれほど意味はない。技術を身につけるために何度も読み返してみる必要がありそうだ。
企業を生命と重ね合わせてみる。
ただ、企業内の「不確実性」というのは、意味は理解できても、自分の中で絵が描けるほどにイメージ化できていない。
なので、不確実性と重ねて紹介されていたエントロピーの方からのイメージ化ができないか試してみよう。
生命は、太陽放射を根源としたエネルギー(エクセルギー)を取り込み秩序を生み出し続けることで、エントロピー増大の法則に抗い、活動し続けるシステムと言える。秩序の形成(エントロピーの削減)がうまくいかなくなればやがて、秩序を失い死に至る。
企業も同様の活動体だとすると、何かを取り込み活動を行えばエントロピー、すなわち「不確実性」は必ず排泄物として増大する。この不確実性の削減=秩序の形成がうまくいかなくなると、次第に無秩序になりやがて死に至る。こう考えるとかなりイメージが湧く。
とすると、本書でのエンジニアリングは「はたらく細胞」の登場人物(細胞)の働きのようなものだろうか。それぞれがその場に相応しいはたらきをし、システムとして動き続けることで生命が維持される。
悪くはなさそう。
このイメージをもう少し解像度を上げてみよう。
企業におけるエントロピーとは
エクセルギーとエントロピーはいわば表裏一体の概念であるが、エクセルギーはどの程度拡散できるか、という資源性のことで、エントロピーはその資源性を利用した際に出されるゴミである。
なので、環境を考える際に重要なのは、利用可能な資源性という点でのエクセルギーにあって、ゴミであるエントロピーは副次的なものに過ぎない。というのがなんとなくのイメージだった。
しかし、本書を読んで分かったのは全く逆で、あらゆる資源性(エクセルギー)は、エントロピーというゴミがうまく排出され循環の中に位置づけられることなしには機能しないため、重要な問題はエントロピーの方にある、ということだった。資源性を第一とするイメージは未だ近代的な世界観に囚われてしまっていたのだ。エントロピーは熱力学という限定的な学問分野の一つの法則である、というイメージを持っていたが、そのイメージにとどまらせていては、全体を見る視点は得られない。エントロピーは地球の活動と生命を含む、あらゆる循環を司る番人なのである(あらゆる循環を司るもの B292『エントロピー (FOR BEGINNERSシリーズ 29) 』(藤田 祐幸,槌田 敦,村上 寛人) – オノケンノート)
エントロピーでシステムを考える場合、あらゆる資源性(エクセルギー)は、エントロピーというゴミがうまく排出され循環の中に位置づけられることなしには機能しない。
とすれば、エントロピーの排出とはどのように行われるのだろうか。
いや、その前に企業におけるエントロピーとはどんなことを言うのだろうか。まずはここから考えてみよう。
ここで、企業のエントロピーを「価値創出のための活動が進むほど、内部に不可逆に蓄積する “散らかり”」と定義してみる。
その主成分は大体こんな感じになりそう。
- 不透明性の増加(何が正解か分からない/優先順位が揺れる)
- 調整コストの増加(これは?誰が?どこ?の往復)
- 認知負荷の増加(覚えること・例外・暗黙知が増える)
- 負債の増加(技術負債/運用負債/組織負債:後で効いてくる)
その活動と引き換えに生まれたゴミをどう捨て活動を維持するか。
要するに、できてしまったゴミ(エントロピー=不確実性)をどう解消するか。
それこそ本書がそのためのエンジニアリング・技術を解説している。
具体的なことは本書を読んでいただくとして重要なのは、ゴミを捨てないと資源の活用はできなくなる、と言うことだ。
太陽熱は温度差があるからこそ、その差がエクセルギー(資源)となる。もし、地球が放熱をしないとすれば熱しられ続けて温度差はどんどん小さくなり資源性は失われるだろう。
同様に、例えば複雑で散らかった要求を単純化して返すことが企業の価値だとする。もし、企業の内部が散らかりきっていれば、単純化して返すこともできずに機能を果たせないくなってしまうだろう。内部に整理された状況(エクセルギー)があるから能力を発揮できるのだ。
企業の病
では、生命における病や死は企業においてはどうイメージできるだろうか。
ここで、企業の病を「エントロピーの排出と再編が、発生速度に追いつかず溜まり続ける状態」としてみる。
例えば、
- 血流が悪い:意思決定が遅い/情報が詰まる/情報に辿り着けない(循環不全)
- 免疫が暴走:管理・監視・承認が増えて熱を出し続ける(炎症)
- 器官が未分化:全部が一箇所に集まりハブが潰れる・ボトルネックになる(臓器過負荷)
- 代謝が落ちる:改善・リファクタ・教育が後回しで崩れが蓄積・負債が貯まる(老化)
のような状態で、企業の死とは、エクセルギーの供給とエントロピーの排出が止まり、自己更新できなくなる状態。もしくは、エントロピーの増大速度が加速し、無秩序へと崩壊的に進む場合、という感じだろうか。
分解と再構築
また、福岡伸一の動的平衡を思い返してみる。
私たちの感覚で工学的に考えた場合、前者の方が耐久性が高く、維持コストも低いように思われる。
だが、生命は後者の道をえらんだ。 つまり、生命は流れとして動き続けなければならないという宿命を引き受けたのだ。しかし、それと引き換えに、生命は環境に適応する柔軟性と、結果的により高い持続可能性を獲得することに成功する。(流れの宿命を引き受けるには B299『生物と無生物のあいだ』(福岡 伸一) – オノケンノート)
シェーンハイマーは私たちの身体の構成要素が絶えず入れ替わっていることを見つけ出した。
それぞれの構成要素がエントロピー増大の法則によって特質の維持が困難になる前に、先回りして分解し再構築を行う。
さらに、身体要素は「柔らかな相補性」と呼ぶような動きを伴った柔軟な結合によって構成されている。
この耐えざる分解と再構築という流れを伴いながら生命を維持している柔らかな状態を著者は動的平衡と呼ぶ。(流れの宿命を引き受けるには B299『生物と無生物のあいだ』(福岡 伸一) – オノケンノート)
生き物は壊れないように固めて安定させるのではなく、壊れながら作り直し、循環を続けることで生きている。企業もたぶんそういうものだろう。絶えず動いている。はたらきを見ずに再構築を怠れば止まる。
生命では崩壊して分解するのではなく、それぞれの構成要素がエントロピー増大の法則によって特質の維持が困難になる前に、先回りして分解し再構築を行う。
つまり、散らかったものは早めに分解(タスク、密結合、暗黙知や属人性を分解)・再構築=不確実性の削減=秩序に組み直す、を行なっておく必要がある。そうでないとフィードバックサイクルによって散らかりは加速し、「特質の維持」ができなくなる。
そのためには一定の分解・再構築のための余白を確保しておくことが重要。その余白がなくなれば、分解できずに負債が蓄積し、さらに余白を奪ってしまうというサイクルに陥ってしまうし、そうなればいずれ崩壊に向かう。
(余白は業務の「節約」で生まれることはほとんどなく、領域として「隔離」してはじめて生まれる。また、余白がなくなり悪循環に陥れば、止血と治療の介入を行うしかない)
生命に例えると、余白は再生器官と言える。失われてしまえば外科的に確保するしかない。
めぐりめぐむ わきあがる
ここまで整理すると、生命比喩は単なる詩的表現ではなくて、観察するための言葉にできる。
- どこが器官過負荷(ハブ化)しているか
- 血流(意思決定・情報)はどこで詰まっているか
- 炎症(管理・承認の増殖)は起きているか
- 分解→再構築の余白(再生器官)は残っているか
- 仕事は再結合可能な粒度にほどけているか
こんな見方ができるかもしれない。
とはいえ、少し病気のことばかり考えすぎたかもしれない。
僕の追い求めていた生命感はもっとダイナミックで魅力あふれるものだ。
「めぐる」とは、さまざまなものが循環するサイクルを、「めぐむ」とはそれらの多様なサイクルが互いに関係しあい、何かを渡しあっていること(共役)を、そして「わきあがる」とはそれらのめぐりめぐむ多数のサイクルが、全体としてもう一つ上の階層のサイクルとしてめぐりはじめることを示している。(生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹) – オノケンノート)
光合成によって生じた不均一性は、めぐりめぐむサイクルの中で他のサイクルをめぐり、そして上の階層のサイクルへとめぐりめぐむ。その循環が、分子レベルから個体、さらには生態系へとめぐっていく。それらはいずれも、常に均一へと至ろうとする世界の中で、それに抗い不均一な状態を生み出そうとする営みである。(そういう意味では、生命ほど不自然なものはないかもしれないし、その不自然さが生命に何か不思議な力を感じさせるのだろう。)(生命、循環とエントロピー B294『エントロピーから読み解く生物学: めぐりめぐむ わきあがる生命』(佐藤 直樹) – オノケンノート)
太陽を発端とする生命の循環を俯瞰的にみると、お互いがお互いに与え合い、より大きな循環を生み出し、巡っていく。そのダイナミックな魅力に最終的な建築の目標を見つけられた気がしたけれども、企業も同様に躍動感と不思議な魅力を持つ存在になれるはずだし、そういうイメージを育てることも必要かもしれない。
今はプロダクトの体質改善に忙しすぎて、メンテナンスの余白をつくれていないけれども、そろそろ本腰入れないとな。
あっ、最近面白そうな方が業務委託でジョインしました。
はたらく細胞で言えばヘルパーT細胞か樹状細胞かマクロファージか。期待。
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