2日間で「すみか」を作ろう 模型とか考えてることとか

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構造の分割数などを調整したので、模型を作り直してみました。

子どもたちでつくることと、達成感を感じられるサイズとしてはこのあたりが良さそうです。
以前書いたようにレシプロカルなお互い支え合う構造にすることで、手で扱えるサイズで組み立てられて、それなりの強度が確保できます。

オーソドックスな形状ですが、いろいろな条件を踏まえた上で合理性を考えると、ここは無理に面白さを追求しなくてもよいでしょう。

まずは型から。です。

2日間のなんとなくのイメージ

今回、年度末の忙しい時期に2日にわたるワークショップを行うのも1つのチャレンジです。

そんな中の2日間のイメージはこんな感じ。(暫定)

1日目。

あれやこれやあって、子どもたちが無人島に漂着。とにかく、何か居場所をつくらねば。そこらへんにある竹なら自分たちの手でなんとかできそう。
そこは手慣れた子どもたち。協力しながら、夕方までに骨組みを完成させました。
(と、思ったら大人たちが見つけて迎えに来てくれました。なんだか残念!)

—基本的な構造の考え方と、小さな部材を組み合わせる方法をつかって骨組みをつくります。

2日目。
あれやこれやそれやがあって、別の子どもたちが無人島に漂着。なぜか、そこに丁度よい竹の骨組みが。
そこは想像力豊かな子どもたち。その骨組みをどんどん自分たちの気持ちの良い場所に変えていきました。そして、大人たちが迎えに来るしばらくのあいだ、そこでたくましく暮らしました。とさ。
—骨組みはあくまで骨組み。それだけでは生活はできません。
骨組みの中にきっかけを見つけ、そこを気持ちの良い場所に変えていくことで、はじめてそこに居場所が生まれます。その居場所は生活の知恵が豊かであればあるほど居心地の良い物になるはず。

「すみか」を作ろう

「すみか」を作ろう。ってちょっと分かりにくい気もするのですが、この言葉以外にちょうど良い言葉が見つからなくて、結局これにしてもらいました。

すみか(棲み家)という言葉は学生時代から気にしている言葉で、オノケンの独立イベントのテーマにもしました。

現代のイメージ先行で売る側の論理が最優先される大半の商品住宅において「生きること」のリアリティを感じるのは難しい。 なぜなら、環境と積極的に関わることなしにリアリティは得難いし、商品住宅を買うという行為はどうしても受身になりがちだからである。 僕は「住宅」よりも「いえ」、「いえ」よりも「棲みか」という言葉に積極的に環境とかかわっていこうとする意志を感じる。(四 棲み家 – オノケンノート)

今回のワークショップでつくりたいなと思っているのも、そういう「棲みか」の入口のようなものです。

僕の中には、意味や価値、例えば技術なんかにしても、なんでもかんでもそれ単体で判断してしまうことが、生きる世界を狭くしているんじゃないか、っていう仮説があります。

個人的には、2日目の「骨組みの中にきっかけを見つけ」てというのポイントで、そこから行動に移る。そして、また新たなきっかけを見つけて、行動に移す、っていうようなサイクルがさまざまな豊かさの源泉になるんじゃないかと思っている。その運動性の中に豊かさがあり、居場所や建築はその運動から生まれる。

そして、実は「きっかけを見つける目」こそ技術の一番の価値なんじゃないかと言う気がしてる。技術的背景があるのとないのとでは見える世界がぜんぜん変わってくるので、技術がなければきっかけを見つけることもできないし、運動は始動しない。

子どもたちが「見つける」というチャレンジ

2日目のこの「子どもたちが見つける」という立て付けは、僕の中ではちょっとしたチャレンジで、あと1ヶ月かけてきちんと詰めないといけない。

僕は、子どもたちは本来「きっかけを見つけて」「試して」「獲得する」という能力や意欲のようなものを備えていると信じているところがある。30年くらいこの辺をずっと追いかけているけれども、これは生きることの根本にあるもので、そう簡単に消え去るものじゃないはず。

ただし、前提がある。

それは、『「きっかけを見つける」ことのできる技術が生活の中で育まれていること』。技術と言っても特殊なものではなく、機会さえあれば生活の中で身につくくらいのものでよい。

この前提が崩れると、子どもたちのこの能力や意欲は行き場を失う。
(個人的には、その結果、生活空間の中から運動性が欠如し、居場所もなくなり、建築もつまらなくなる、みたいなところに行き着く。オラそんなとこ嫌だ。)

その崩れた技術的な前提をなんとかしようというのがモリメカの思想の中にあると思うけれども、はたして、この短時間の中で「前提を補い」「きっかけを見つけて」「試して」「獲得する」という、その先を感じてもらえることができるんだろうか。

さっきも書いたけれども、子どもたちの中にある能力や意欲は基本的には信じている。だとすれば、それが発揮できないのは環境・大人の側の問題が大きい。

この2日目で、運動の中から居場所が生まれる、ということの一端でも感じてもらえるだろうか。うーん、欲張りすぎだろうか。

でもね。子どもたちの生きる未来は、ますます自分の居場所(これは空間的にも精神的にも)を自分で生みだしていかないといけなくなると思うんだよね。ちょっとした手応えなり手触りくらいは持たせてあげたいよね。

それが、この2日間の個人的なテーマかな。

・・・・

だんだん、抽象的になっちゃった・・・。
さて、本番はどうなるか。まだ空きあるみたいのでぜひぜひー(要申込)





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